東海オンエア
2017年から東海オンエア大好きで
毎日欠かさず見てきました
ほんとに暇つぶしとストレス発散になる
何もやりたくない時はベットで猫とゴロゴロしながら東海みる
そんな東海オンエアファン歴6年の私
最近、虫眼鏡さんのラジオチャンネルにネタ投稿してます。ネタ採用されると良いな〜
ボロクソに言ってくれても良いな〜
RNは くまっちです🐻
ニュアンス
私の父は「◯◯してあげる」という言い回しが嫌いだ。
幼い頃に、父に「してあげよっか!」みたいなことを言ったら、ムッとした顔で「いらん」と言われた。その後も「なんだその恩着せがましい物言いは!」やら「それなら嫌だ。頼まん。」と言われた。
私は、(相変わらず怒るポイントわからんなぁ〜)と思いつつも、その言い回しを避けるようになった。
そして20代、ある男性とデートをしたとき
「しょうがない!ここは奢ってあげますよ!」
と言われた時にハッとした。
ん?
なんだこの違和感は...
そもそも、奢られるつもりではなかったし
奢ってなんて頼んでない。
【しょうがない/仕方がない】
理不尽な困難や悲劇に見舞われたり、避けられない事態に直面したりしたさいに、粛々とその状況を受け入れながら発する日本語の慣用句
「え?私がお金持ってないように見えるってこと?」
「しょうがないってなに?頼んでないよね?」
「それに奢ってあげるてなに?こんなんで後で「あげたのに」て言われるの嫌なんだけど、、、」
と捲し立ててしまった。全く可愛げがない。
もっと何かここまで怒るポイントがあった気がするがもう忘れた。
なぜそんなに怒るのか聞かれ
私は「ご馳走させて」と言ってくれる人からしか奢られたくない。気持ちよく奢ってくれる人からのご馳走はとても楽しいし、美味しい。
財布の中身を数えたり、損得考えたり、人の支出を比べるところが見えると、「デート」ではなくそれは「会」。
わざわざ「奢ってあげる」なんて発言はありえないし、見下されているように感じる。
もちろんシチュエーションによってはそのセリフはギャグになるよ。けど、ギャグでしか使わない言葉なのよ。
と言ったが価値観の違いは深かったようで伝わらなかった。
数年後、職場のエライ人が朝礼で
「先日は社長がみんなとの会食を奢ってくれたから、会ったらお礼を言ってね」的なことを言っていた。
これも「奢ってくれた」に違和感があった。
社長のご好意とおもてなしに「ラッキー!得したね!」と受け取ったようで嫌だった。
そこは「ご馳走して頂いたから〜」の言い回しの方がよかったのでは?と思ってしまった。
「好意」に対して「ラッキー!」みたいなスタンスは気持ちが悪い。
①「奢る」に対して「ラッキー」は◯
②「好意」に対しては「誠実」で返すのが◯
③「奢る」に対して「誠実」で返すと遊ばれる
④「好意」に対して「ラッキー」は失礼
自分や相手がどのスタンスでとってる行動なのかはしっかり見極めないといけませんね 。
「好意」に対して「ラッキー」で返してくる女性は恋愛的には脈なしなので早いところ諦めた方が吉。
落ちなし
お手伝い
夫くんが家事をしているときに「がんばれ〜」とアイスを食べながらダラダラ。
夫はニコニコしている。「イライラしないの?」と聞くと「なんでっ!?」と驚く夫。
「私は家事やってる時にダラダラされたら嫌だから手伝って欲しい」「わかる。俺だったら手伝う。」
じゃあなんでイライラしないの!!!!?
「えーーなんでだろーねー」とニコニコ
我が夫 本当に謎多き生き物である。
デート代奢る?奢らない?
よくある論争。
特にマッチングアプリが普及した今
この手の話題が多い気がする。
「友人から恋人へ」と意識するきっかけとして
「奢る」というのはとても簡単なアプローチだろう
友人だと思って一緒に遊んでいた
男友達にいきなり奢られたら
ドキッとしてしまうかもしれない...
その瞬間、遊びがデートに変わるのだ
しかし、マッチングアプリは
知人でも友人でもない人といきなり会って
そこに「奢る」「奢られる」が絡むと「他人」or「恋人」の選択肢しかないようでややこしいのだろうか
女の子の主張としては「お洒落代が高い」とか言う人もいるけど、実はとっても単純で「自分にお金使ってくれる人の方が楽しい」が本質だと思う。
お金のことなど気にせずに美味しいもの食べて、ゲームセンター行ったり、公園で缶ビール空けたり、思いついたこと全部に楽しく付き合ってくれて、お金までサポートしてくれたらまじ最高のデート
楽しければ奢る奢られるはどうでもいいでさえあるけど、複数人の男性から選ぶ時「この人は奢ってくれた」ていうポイントがつくし、デートがつまらなくても「奢ってくれたしな〜」ていう加点が残る。
私の夫くんも「その子の好感度をお金で買えるなら出すわ」と言っていた。
たださ?もてない人は、どんなに「好感度」を買っても選ばれない、、、そりゃ「奢り損」て思うし、数打っても当たらなければ軍資金も減るし、残りの資金をこのデートにどれくらい入れていいのか、いま期待値はどれくらいなのか不安になって、女の子のやりたいことへ資金面で躊躇が出る。
後先考えないその場が楽しければOKタイプがモテるのはそういうところかもしれない。
あと軍資金が多けりゃ、余裕もあるしモテる。
さて本題。
「奢り」「奢られ」論争。
「奢る」余裕がある人が「奢らない」を選択することができる。のでその立場の人しか発言権はないですね。
「可愛かったから奢った」
「お金あるし奢った」
「かっこつけたいから奢った」
「つまらなかったから奢らなかった」
「別に次なくてもいいし奢らなかった」
「奢らなければ連絡もこなくなるだろう」etc
なので、「奢られる」立場と「奢れない」立場にある人はまず黙るしかない。
その人たちのいう「奢ってくれなかった」「奢られて当然という態度が〜」「女は〜」「男は〜」という意見は不毛なのだ。
そして「奢らない(れない)」ということが「脈なし」と思われる可能性を残してしまうのは不敏だが、「奢る」人が存在する以上仕方のないことである。
ま、わたくし立場的には「不毛な意見」なのであしからず
風薫る
風薫る
ページめくれる
君の横顔
中学一年生の春
少し強い日差しと風
カーテンが窓際の席の邪魔をする
俳句の授業だった。
「薫風」もしくは「風薫る」を入れた短歌を作り、黒板に張り出す。そして人気投票をするというものだった。
そして、圧倒的な票を集めたのが冒頭の俳句である。
春、教室、カーテン
春風がページをめくる
しかし視線は君の横顔
という恋の俳句
誰が書いたのか一瞬で分かった
こんなセンスの持ち主彼女しかいない
文才とか感性とかそういうのってセンスなのか...と完敗した気持ちが春になると思い出す。
まぁ、何が言いたいかと言いますと
昔の記憶が意外と鮮明なのは
何度も思い出すからなんですかね